道州制について思う

先週末、同志社大学大学院の新川達郎先生をお招きし『道州制』に関する研修会を開催した。

この間、道州制をめぐっては、関西広域連合において「道州制のあり方研究会」が設置をされ、国主導・政府与党の道州制論議の問題点や具体的な事務に即した国と地方の扱うべき事務や執行のあり方などについて、有識者間で議論がなされ、本年3月にその最終報告がまとまった。新川先生はその座長として議論をとりまとめていただいた。

私自身は、一般的に行われている道州制に関する議論や主張について疑問を感じている部分が多い。

まず第一に、道州制と言われると「かたち」や「区域」の話から入りがちになる。
やれ全国を10のブロックに分けるだの、○○県はどちらのブロックに入るだの、××市が△△州の州都になる等々。
こうした「かたち」や「区域」の議論はまったく無駄ではないものの、道州制の是非を問う上で決して本質的な議論ではない。

次に、道州制が導入されれば「目の前の課題が解決をされ経済成長を実現ができる」「○○地域復活にはこれしかない」といったまったくもって根拠に欠ける主張がなされている点にも疑問を感じる。
もちろん、税制や事務権限などのあり方次第で、そうした経済成長や地域活性化を実現できる可能性がゼロではない。
しかし、その前提となる具体的な制度設計なしに、「制度が変われば問題が解決する」という幻想を振りまく議論には与したくはない。

その上で、私は、道州制の是非については、やはり『地方分権改革』の文脈で判断をすべきだと思う。

その評価軸を挙げるとすれば、

◇ 住民自治の観点から『民主性』が向上するか

◇ 受益と負担の観点からその『近接性』が担保されるか

◇ 国と道州あるいは道州と基礎自治体の『対等性』が確保されるか

ではないだろうか。

こうした評価軸でその是非を判断しようとすれば、大前提として、

『国・道州・基礎自治体の役割(事務や権限)』
『税財源の配分方法とその調整方法』

という2点が明確にならなければならないが、なかなかそこが見えてこないところに議論が深化しない要因がある。
そして、それにもまして重要なことは、道州制に限らず分権改革を進めるか否かについて、

『地域の多様性』を前提にしながらその『差』を認め、それぞれの地域が自立をし自ら努力をしていく社会を目指すのか、

全国一律的に同様の均質的な社会、すなわち結果としてある意味平等な社会を目指していくのか、

このことを国民自身が判断をしていかなければならないということだ。

道州制の議論の本質は、まさに『分権改革』の本質から出発をし、国家としての『統治のあり方』を決することである。

それほどの覚悟を持った議論が待たれるところだ。

知事選挙に思う

京都府知事選挙が終わった。

結果は、山田啓二候補 481,195票に対して相手候補が215,744票。

まさに圧勝であり、私たちが推薦した山田候補が再選を果たしたことは大変嬉しく思う。

4期目の山田府政の大きな推進力を得ることができた。
しかし一方で気になるのがやはり投票率。

前回の知事選を6.64ポイント下回る34.45%にとどまり、過去最低を記録した。
その理由として一般的に指摘されるのが、下記のような点である。

・これまで通り「非共産 対 共産」の構図でおもしろみにかける、選択肢が少なすぎる

・論戦がかみ合わず、争点が明確にならなかった

・山田知事の実績と圧倒的な知名度から結果がある程度予想されており盛り上がらない

・当日、お花見の季節や思いがけない寒さによって投票所へ足を運ぶ人が少なかった

などなど。

こうした指摘について、私自身、政治に携わる者として謙虚に反省をしなければならない部分があることは否定をしない。自らが立候補し、選択肢となったものとして、選んでいただく側の人間として、まだまだ努力をしないといけないことはたくさんある。
しかしである。

やはり投票には行かなければならないし、行くべきだ。
選挙というのはそもそもおもしろいものでもないし、盛り上がらないといけないものではない。

選択肢の少なさが指摘をされるが、そもそも自らの考えと100%一致する候補がいることの方がまれであり、与えられた選択肢の中からより近い、よりベターと考えるものを選ぶことも必要だ。

関心がある分野の政策を比較しても良い。トータルとしてのバランスを判断しても良い。もちろん、実績に基づく実行力を吟味してみても良い。

そうして考えれば、決して今回の知事選挙でも争点がなかったはずはない。

情報がないとの声もよく聞く。

しかし、今やネットでも情報収集は可能であり、主体的に判断をしようと思えばできなくもない。

そうした「手間」や「時間」をかける割には、自分にとってのメリットが見えないとの声も聞く。

いやいや、どちらが知事になるかによって、教育や福祉、財政面など私たちの暮らしには大きく変わるものであり、他人事では決してないはずだ。
私が政治の道を志した原点は、「自らのあり方を自らが決める政治」を作りたいとの思いにある。

まさに「自治」である。

その「自治」の本質は、住民自らが「こうしたい」「こうあって欲しい」という意思があるというおとが大前提だ。

そしてその意思を示す4年に一度の機会に、少しの手間暇をかけて「考えて」「行動」することは必要最低限の義務だと言っても過言ではない。
だからこそ、どんな理由も「投票に行かない」ことの合理的な理由にはなり得ない。

投票という行動によってこそ新たな状況や環境を創ることができるはず。

政治に身を置く人間だからこそ、そのことを強く信じたい。

 

「政見放送見る会」

2014.04.02:京都新聞朝刊(公選法・要約筆記)今日の午後から、長岡京市内で行われた『政見放送を見る会』に参加をした。

これは、京都府難聴者協会が主催をされているもので、現在行われている京都府知事選挙の政見放送を要約筆記で見ようというもの。手話のわからない難聴者にも関心を持ってもらおうとの狙いから府下9ヶ所で実施されている。

選挙をめぐる要約筆記の取り扱いについては、実は以前から課題が指摘されており、私自身もこの間、解決に向け取り組んでいるものでもある。

先日の京都新聞でもその課題を指摘していただいたところだ。
(添付資料:平成26年4月2日 京都新聞朝刊)

2014.04.04syuukai 001その課題とは、

以前は「要約筆記」に必要なプロジェクターの使用は、公職選挙法の「文書図画」にあたるとして、その使用が制限をされてきた。

それが、昨年のインターネット解禁を行った公職選挙法の改正で、個人演説会場においてのプロジェクターの使用が可能となり、結果として、「要約筆記」は可能となった。

しかし、一方で、これまでから「手話通訳者」への報酬の支払いは公職選挙法上で認められてきたものの、今回の法改正では、「要約筆記」をしていただく方への報酬の支払いは未だ認められておらず、仮に報酬を支払った場合、「運動員」への「報酬」の支払いは「運動員買収」にあたるというのが現在の法解釈になる。このことで、実質的には個人演説会での要約筆記の実施は制限されてしまっている。

今日の会でも、主張をされていたが、選挙に関する情報(候補者の公約等を含む)を知ることは、当然の権利であり、その権利を確保することこそが「合理的配慮」の典型的な例だと思う。

今回の政見放送にしても、放送規則等のルールによって、字幕スーパーが制限をされているとのことを初めて知った。

こうした取り組みを通じて、埋もれている課題を「知る」ことの重要性を再認識。

「障がいを持つ方がどういうご苦労をされているのか」を私たち自身は自らの体験として知る機会はなかなかない。そうした発信を私たちはしっかりと受け止め、ルールの狭間にある課題をしっかりと訴えていかなければならない。そして、少しずつでも改善が図られていくために、自分自身、活動をしていきたいと思う。

地方公会計制度

2014.01.23kensyuu 001日本公認会計士協会京滋会が主催をされた研修会に参加をさせていただいた。

テーマは『地方公会計の現状と今後の課題~財務情報の利活用と正確性の担保』。

講師の遠藤尚秀氏から、地方公会計の基本的な考え方や草津市の財務諸表を例示した活用方法の具体例、地方制度調査会等における国での議論の状況などについてお話をいただく。

地方公会計をめぐっては、ここ数年に渡り「総務省改訂モデル」や「東京都モデル」「大阪府方式」など、複式簿記や発生主義といった企業会計的な仕組みをいかに地方自治体に援用してくかという議論や工夫の積み重ねが行われている。

確かに、現行の決算スタイル・書式では「真の収入やコストを把握しづらい」「ストック情報としてリスクや世代間負担の現状などが見えにくい」といった課題があるのは事実だ。

そして、実際の地方自治体の現状をわかりやすく示し、「住民や議会などに向けて説明していくか」「自治体運営を行う際の評価軸として機能させるか」といった観点からは重要な「ツール」であることは間違いない。

しかし一方で、その「ツール」を「どのように活用するか」といった目的志向の制度とシステムでなければならないと思う。

内部事務の効率化が行財政運営上の課題であることを考えれば、自己満足に終わるものであってはならない。

その意味で、さらなる試行錯誤の積み重ねが必要になるであろうし、運用する自治体としての目的意識の明確化が求められるのではないだろうか。

元気の源はある!

昨日は乙訓青年会議所の6月オープン例会。

「郷土愛」をテーマに講演やまちづくりに携わられる方々のパネルディスカッションなどが行われた。

その中で印象に残ったのが向日市激辛商店街の事務局長をされている磯野勝さんのお話。

激辛商店街は激辛グルメを競う「KARA1グランプリ」などを主催しておられ、今年の「KARA1」では5万人を超える参加者を集客するなど、大変「元気」なまちづくり団体でもある。

その磯野さんが、

「激辛商店街のキャラクターである『カラッキー』のキーホルダーや年賀状を作成・販売してきたが、最初は売れるかどうか不安だった。ただ、実際に販売してみると予想以上の売れ行きに。自らの地域を何とか元気にしたいし、そのために些細なことでも役に立ちたいと思っている市民は想像以上に多い。」

とおっしゃっていた。

そんなお話をお聞きした後の、今朝の京都新聞に次のような記事が出ていた。

山形県鶴岡市では市が運営する「加茂水族館」の改築に際し、住民参加型の公募債を発行されたとのこと。

「加茂水族館」はクラゲの展示種類が世界一で、ノーベル化学賞を受賞した下村脩氏が訪れるなど人気を集めているとのこと。

そんな「加茂水族館」の改築に30億円かかるのだが問題となったのはその財源。

そこで一般市民から1口10万円の公募債「クラゲドリーム債」を発行することに。

すると約20分ですべてが完売。来年度にも6億円分の発行を予定し、水族館は来年6月に再オープンをする予定だという。

過疎の話や地域の疲弊が蔓延しているとされる今日。

しかし、この2つの話に通ずるのは、自らの住まう地域を愛し、何とか力になりたいという住民が非常に多いということだ。

言い換えれば、そんな住民の「思い」を具体的な「かたち」にしていくことが、それぞれの地域の大きな課題でもある。

決して、地域そのものに元気がないわけでもやる気がないわけではない。

元気の源は必ず地域の中に存在しているはずだ。

一人ひとりが胸に秘めた地域への愛情を具体化していくための「仕掛け」を提示し行動していくことこそが今求められているのだと思う。